家族からのサバイブの困難と可能性

若者からの相談事例をもとに試論的に考えます。
今岡直之 2023.05.01
誰でも

 NPO法人POSSEの生活相談窓口には、2022年度に前年度の約3倍もの若年層(10代〜30代)からの相談が寄せられた。その多くは、親子関係が悪く、実家から逃げたい、あるいはすでに逃げて友人宅やネットカフェなどにいる、というものであった。

 コロナ禍で生活困窮の拡大や感染リスクによって、家族内にストレスがかかりやすくなり、外出自粛や在宅勤務、一斉休校などで家族が孤立し、かつ「密度」が高まったことでより一層DVや虐待が起こりやすくなっているのであろう。児童相談所(児相)での児童虐待相談対応件数は毎年増加を続けており、2021年には20万7659件となっている。統計を開始した1990年以来、31年連続で最多を更新しており、件数は約200倍増加している。

 しかし、児相が対応しているのは氷山の一角に過ぎず、虐待を受けながらも親と同居し続けなければならない若者が少なくない。そもそも、18歳を超えれば「児童」ではなくなるため、把握すらされなくなる。行政に把握されず保護もされない若者が、私たちのような民間の支援団体にたどり着くこともあるのだ。

 若者一人ひとりに詳しく話を聞いてみると、「虐待」や「親子関係の悪化」と言っても一様ではなく、さまざまな形態をとっていることがわかる。大まかに言うと、①実家から追い出される②自分から実家を出ていく③実家を出たいが出られない、という3つに分類される。今回はその内実を叙述し、要因を分析したい(事例の詳しさに差があるが、ご容赦いただきたい)。

①実家から追い出される

 都内在住のAさん(20代男性)は、3歳の時に両親が離婚してから母親と一緒に暮らしていた。そして、小学校高学年の頃に母親がうつ病になり、しばらく生活保護を受けていた。病気の母親の代わりに役所に行き、ケースワーカーとのやり取りもしていたという。ただ、Aさん自身も小さい頃から気分の浮き沈みが激しく、のちに医師からは双極性障害ではないかと言われている。気分が落ちている時には体調も悪く、学校に行けないこともあった。母親は怒る時に尋常ではなく怖かったり、ヒステリックだったといい、そうした環境要因もあるかもしれない。とはいえ、何とか定時制高校まで卒業することができた。

 高校卒業後は職業訓練に通っていたが、自分の夢が変わって音楽を本気でやりたくなった。それからは職業訓練に通うのを辞めて、音楽をやりながらアルバイトをするようになった。接客が好きだったので、飲食店を中心にいろいろなアルバイトをしてきた。

 しかし、新型コロナが流行し始めた2020年初めから、体調不良でシフトに入れないことが続いた。熱が出ることもあり、コロナ感染を疑われることもあった。しかも、当時は緊急事態宣言が発出され、客が激減して仕事自体がかなり減っていた。

 収入がなくなってしまったことで、母親と揉めるようになった。「お金を稼ぐことができないなら、一緒に暮らすことはできない」などと言われた。そして、家にある物を使って暴れたりしたので、身の危険を感じて友人の家に逃げた。Aさんの収入が減って家計が崩れていくのが母親に強いストレスを与えていたのではないか、とAさんは言う。

②自分から実家を出ていく

(a)実家から出て行った上で親との連絡を絶つ

 関東地方在住のBさん(10代女性)は、小3の頃から親からの暴力を受けて育った。当時、母親が離婚とともに再婚し、継父がBさんと母親に身体的暴力を振るっていた。Bさんが暴力を振るわれていても、同居する母親、姉、祖母の誰もが見て見ぬふりをし、助けなかった。小6の時に再び離婚し、暴力が収まるかと思ったが、今度は母親が精神的虐待を行うようになった。「死ね」「消えろ」と毎日言われ、ある時には、「姉は操り人形だけど、あなたは奴隷だからね」と言われたこともある。

 幼い時には虐待だという認識もなく、親の教育だと思っていた。しかし、高校生になって抑うつ状態になり、その原因を調べていくうちに親の影響だと考えるようになった。その時にちょうど虐待サバイバーのYouTuberの動画を見て、自分の経験は虐待だったのだと自覚した。

 それから家出したいと思うようになったが、何とか高校は卒業しなければならないと思い、耐えた。高校卒業後に就職が内定していたが、それを蹴って卒業とともに実家から逃げた。しかし、捜索願を出されて1週間ほどで実家に連れ戻されてしまった。それから、母親と同じ介護の職場で働くことになった。

 母親の勧めで障害者雇用の枠で入ったが、介護はさせてもらえず、ベッドメイキングや清掃など雑用ばかりやらされ、嫌になって辞めたくなった。また、母親の影響で同僚の風当たりも厳しかった。そして、数ヶ月で別の介護職場に一般雇用で転職した。

 そこでは最初周りは歓迎ムードだったが、1ヶ月経つと仕事を覚えきれていないことを非難されるようになり、「できないやつ」のレッテルを貼られているようだった。話しかけても無視され、指示を待っていると「動け」と言われ、動くと「邪魔」だと言われるので、どうしたらいいのかわからなくなった。ここもすぐに辞めた。

 二つ目の職場を辞めてからは実家に引きこもり、ネットで仕事を探していたが、なかなかいい求人が見つからなかった。それに母親が痺れを切らして、「もっと探せ、介護ならいっぱいある」と言ってきたので、「介護はもうやりたくない」と言い返すと、「金を稼げるんだからいいじゃないか」と反論され、大喧嘩になった。この頃から「親と離れないと死ぬ」と感じ、再び実家から逃げた。今度は捜索願不受理届を出し、本当に親から離れることができた。以降、親とは連絡を取っていない。

(b)実家から出て行っても親との連絡は続ける

 関東地方在住のCさん(10代女性)は、両親が会社員で共働きの家庭に育った。正確な年収はわからないが、Cさんが小学生の時にはすでに住宅ローンを完済していたというから、それなりの稼ぎや貯蓄があったのだろう。しかし、父親はCさんと弟に暴力や暴言を振るい、酒が入ると酷くなった。父親は人を見下す発言が多く、仕事ができない会社の同僚や、生活保護受給者などを「ゴミ」「クズ」などと言っていた。父親はおそらく過労死ラインを超える長時間労働をしていたが、自分はこれだけ頑張っているのに、仕事ができない、仕事をしていない人を許せなかったのかもしれない。

 父親の暴力・暴言にも関わらず、母親は見て見ぬふりをしており、「あなたがおとなしくしていればいい」などと言うだけだった。母親主導でCさんはいろいろな習い事をさせられた。塾や公文、ピアノ、水泳、日本舞踊、ダンスなどなど。中には楽しかったものもあるが、やりたくないものがあっても続けるよう強いられたり、辞めると非難された。さらに中学受験もさせられ、1日10時間も勉強していたという。小学校のクラスメイトなど周りは中学受験をしている人がいなかったが、塾のクラスなどでわかってしまった。受験に落ちて地元の中学校に通うことになった時にはとても気まずかったという。

 中学生の頃から朝起きた時に体調が悪くなることが続いた。立ちくらみ、気持ち悪さ、頭痛、腹痛などで、起立性調整障害と言われる病気の症状に近いが、親が病院への受診を認めなかったため、診断はされていない。高校でも体調の悪さとコロナによる休校も相まって不登校になり、通信制に転学した。

 昨年3月に高校を卒業することはできたが、相変わらず体調は悪く、家に引きこもっていた。すると、父親がCさんに「自分は頑張っているのにお前が楽をしているのが許せない」などと暴言を吐くようになり、さらに部屋のふすまを蹴ったり、手を引っ張られたりした。身の危険を感じたCさんは一人暮らしを決心し、母親に緊急連絡先を頼んでアパートを借りることができた。

 一人暮らしを始めた頃には倉庫で夜勤のアルバイトをしていたが、体調がすぐれず、また仕事も覚えることが多く難しかったため、3ヶ月ほどで辞めた。収入がなくなり、貯金も尽きてきたところで、ネットで調べて生活保護を受けようと考えた。父親は見下していたが、Cさん自身はネガティブなイメージはなかった。POSSEに相談し、スタッフの同行で生活保護を申請し、受給が決定した。父親には居場所を伝えず連絡も取っていないが、母親とは毎日連絡を取り合っているという。

③実家から出たいが出られない

 関東地方在住のDさん(20代女性)は、中学受験を受け、私立の中高一貫進学校に通った。最初は成績が良かったが、クラスでの人間関係がうまくいかず成績が下がった時に、親は理解してくれず、とにかく頑張れと叱咤されるだけだった。大学に進学したが、授業内容が過去の経験のフラッシュバックになるようなことがあり、体調を崩した時にも親は理解してくれなかった。

 大学卒業後も体調の影響で自立することが難しく、実家暮らしを続けているが、家族が怖く、常に緊張している。心療内科に通院したり、カウンセリングを受けている。一度、実家から離れようと家出をしたものの、一人暮らしにたどり着けず、結局実家に戻ってしまった。心身ともに力尽きて引きこもりの状態となっている。

 POSSEの相談窓口では、Dさんに生活保護を利用して実家を出て一人暮らしをする方法をアドバイスしたが、Dさん自身は実家を離れることも不安に感じ、踏ん切りがつかない状態が続いている。

子育てと親子関係の違いを規定するのは何か?

 事例の紹介が長くなってしまったが、4つの事例を端的に総括すると、①→②(a)→②(b)→③の順に、親が教育熱心であり、かつ子どもが親から離れられなくなっているという傾向がある。親による精神的支配が強まっていくのである。

 おそらくこの傾向を規定しているのは社会階層である。日本では、子どもの社会化やしつけのみならず、学力形成を通じた地位達成を目的とした意識的な働きかけを行う「教育する家族」が大正期の都市中間層において萌芽的に現れ、戦後の高度成長期に大衆化した。しかし、近年では子育ての社会階層差が見出されつつある。すなわち、上層〜中間層、大卒親は子どもの地位達成のために意図的、積極的に介入するのに対し、下層、非大卒親は放任的、自然に育つに任せる傾向があるという。

 このように、子育ての階層間格差が拡大し、子どもの地位達成に親の影響力が極めて大きくなった社会を「ペアレントクラシー」と呼ぶ。前近代の身分制社会を「アリストクラシー」(貴族による支配)とすれば、近代は学校での業績を通じて社会的地位が決定される「メリトクラシー」と言われる。しかし、新自由主義改革による教育の市場化が進む中で、親が教育市場からいかにサービスを購入するかが子どもの地位達成にとっての重要性を増してくる。その結果、子どもに対する親の権力が強まっているのである(なお、これは学校や教員に対する親の権力の強まりも意味している)。

 これまで、ペアレントクラシーの弊害は、教育社会学を中心に子どもの地位達成の階層間格差の拡大として取り上げられてきた。しかし、子どもの身体や精神に対する「質」的な影響については、あまり注目されてこなかったのではないだろうか。おそらく、この問題を取り上げてきたのは、心理カウンセラーによる「毒親」問題の告発であろう。カウンセリングに保険が適用されず、自由診療である日本では、カウンセリングを受けられる経済的余裕がある中間層以上が顧客となることが背景にあると思われる。

 他方、「下層」では、親子ともに無理をして家族を維持しようとする規制力が相対的に弱い。むしろ、病気などで子どもの就労が困難になり、家計を圧迫するようになると親の方が追い出すケースも少なくない。もちろん、暴力や暴言は子どもを身体的、精神的に傷つけ、命を奪うこともあるわけだから、そういった行為は許されないのは言うまでもない。無理やり家族を維持しようとせず、制度や相談機関につながることが重要である。

 「下層」の当事者と接していると、親による精神的支配が相対的には弱く、親から離れることに未練があまりない印象を受ける。そして、子どもが実家から逃げることで親からの一定の「自由」を得ることができているようにも思われる。また、家族の外部との人間関係のあり方も異なってくる。中間層出身の当事者たちは、幼少期から競争にさらされたためか、学校などの友達に自分の苦境を相談することもできず、家族に人間関係が閉じられた中で、何とか我々につながってくる。それに対し、「下層」の当事者は、学校やオンライン上の友達のつながりを通じて、生活保護という生存手段や私たちのような支援団体につながっている。家族の外に自分が生きていくためのネットワークがあるかどうかは非常に重要だ。

 こうした事情もあり、私たちには「下層」の当事者の方が相対的につながりやすい状況にあるように思われる。彼らの家族からのサバイブが、中間層以上の当事者たちをエンパワメントしてくれるかもしれない。私たちはその行動を支えたいと思う。その際に必要なのは、カウンセリング以上に、彼らが現実に家族から離れることが可能になるための制度や社会資源の活用であり、具体的には生活保護を権利として活用することだったりするだろう。家族からのサバイブを支援したいという方、待ってます。

ボランティア希望者連絡先 volunteer@npoposse.jp

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